連載記事
テーマに沿って、12名の建築家が建築設計に対する想いや考えを綴り、バトンを繋ぎます。
2周目のテーマは、「完成までのプロセス(人との出会い)」です。
※毎週火曜日に掲載
濱田修建築研究所
テーマ vol.2完成までのプロセス(人との出会い)
「予期せぬ展開を楽しむ」
1989年、年の瀬、私はニューヨークにいました。当時、赤坂の石井和紘建築研究所に在籍していた私は、プロジェクトの関係で運よく海外出張に行くことになった為です。
そして仕事終わりには、音楽好きの石井氏と共に、ニューヨークでしか聴けないコンサートへ夜な夜な出掛けていました。それらのコンサートが印象深く思い出されます。それはリンカーンセンターで聴いたニューヨーク・フィルハーモニーのクラシックコンサートと、ジャズクラブ・ブルーノートでのアート・ブレイキーのジャズライブでした。ニューヨークフィルの交響曲は寸分違わぬ正確な演奏で、躍動感が溢れる完璧なコンサートに感動を受けました。
一方、晩年のアート・ブレイキーは当時70才になっており、40㎝ぐらいのステージにスタッフの肩を借りて上がるくらいなので、力強さはないのですが、力の抜けた成熟したドラムを演奏し、他の演奏者との絶妙な駆け引きで繰り拡げられるジャズセッションは、奥が深くて魅了されました。そしてその時に、頂点を極めた2つの音楽は全く違うプロセスで構築されていると、感じた記憶があります。
話は変わって現在、建築工事の中で同じ印象を感じる時があるのです。建築には大きく分けて何も無い場所に建築する新築工事と、既存の建物を利用する改修工事があります。近頃、弊社への設計依頼には改修工事が増えており、それは近年の持続可能な社会を目指す流れによるのですが、何よりも、場づくり(まちづくり)プロデューサーの明石博之氏(グリーンノートレーベル)との出会いが大きいと思っています。
明石氏とは、8年前に彼自身が経営とプロデュースを行う、初プロジェクトのカフェ「uchikawa六角堂」の改修設計を行ってからの付き合いで、その後数件の古民家改修設計を依頼されています。それらの改修工事を経験するたびに、私自身の完成プロセスにおいて新築と改修では、大きな差違を感じています。きちんと譜面のあるクラシックコンサートと、幾つかの決めごとだけで演奏する、ジャズセッション(ジャムセッション)との違いに似ているように思います。
建築と音楽は比喩されることがよくあります。たとえば「音楽のような建築」「建築は凍れる音楽」「建築は空間の音楽」などと言われます。私自身も「音楽は見えない建築」だと思っています。ならば建築とクラシック音楽の職能同士を置き換えてみるとどうでしょうか。
建築家 = 作曲家
建設会社(工務店) = 楽団(バンド)
現場監督 = 指揮者
各種職人 = 演奏者
利用者 = 聴衆
そして施主は当然、プロデューサーであり、聴衆でもあるのです。ただ、新築工事の場合は、この例えがすんなり収まるのですが、明石氏と出会い改修工事を行う度に、きちんと収まらず、何かが圧倒的に違うのです。
改修工事には、既存の建物があること、その建物には既に多くの歴史があること、そして一部を解体しないと全貌が見えて来ないことなど、工事を始めてから判明することも多々あります。予定通りに行かない時には現場に係わる多くの人が、現状を把握し、それに合わせる対応力が必要になって来るのです。
それはおそらく楽譜(図面)があり、しっかりと練習し、管理されたクラシック協奏曲ではなく、あらかじめコード進行だけを決めて、各々がアドリブで演奏するジャズセッションに近くて、メンバー全員が瞬間的に作曲とアレンジを行うことと同じです。
施主、建築家、現場監督、各種職人、全ての人が細部では作曲家であり、指揮者にもなります。現場に長く通うと、時々施主や建築家が演奏者(職人)になることもあって、予期せぬ展開が新しい音(デザイン)を生むのです。今はそんな改修工事が、たいへん心地よく感じるようになりました。
ワールドリー・デザイン「ma .ba .lab .」http://worldly-design.jp
建築にとっては、どちらのプロセスも重要で、楽しいものと思っています。そのプロセスを心底楽しめるようになるには、音楽と同様に日々の練習と知識、経験の蓄積が必要です。個々の力量があり、信頼関係があるからこそ良い演奏になるのです。これから建築を目指す人には、多くの課題やコンペに挑戦し、鍛錬を重ねて下さい。そして多くの建築を見ては知識を深めて欲しいのです。それらが完成までに必要な建築的対応力を養うからです。
建築も音楽も目指す先に終りはありません。私もより研鑚を積み、建築的な反射神経と対応力を磨き、アート・ブレイキー(享年71)のように亡くなる間際まで演奏(設計)を続けられればいいと思います。