連載記事
※毎週火曜日に掲載
山田哲也建築設計室
テーマ vol.3基本構想が生まれるまで(アイデアとの出会い)
「特別な出来事からの気付き」
ケンチクノワメンバーの皆さんが書かれているように、私の設計においても基本構想のきっかけとなってきたのは、施主との対話や周辺環境であったり、アイデアはこれまで経験した事のストックを引っ張り出してつなぎ合わせたりする事が多いのですが、その中で「特別な出来事」が基本構想のきっかけになったプロジェクトがあったので紹介します。
それは、10年前に設計した「笹倉の家」という住宅です。10年前というだけで勘の良い人は既に察していると思いますが、そう「東日本大震災」が起きた年です。
そのプロジェクトが始まる直前に震災が発生しました。先日、震災10年を迎えましたが、当時の事は今でも鮮明に覚えています。仕事をしている時に揺れを感じ、テレビをつけると被災した各地の状況が映し出されていました。津波が押し寄せて建物が流される姿を見て、とても現実のように思えずただただ言葉を失い、自然の力に対する人間の無力さを感じながら画面を見つめていました。
その後、瓦礫の中で助け合いながら救助する人々や避難所で協力しながら生活する人々を見た時に、人と人の繋がりの大切さを再認識させられ設計に対する考えが変わりました。
当時は、どうしたら綺麗な見え方をするか、どうしたら迫力のある空間にできるか等、視覚的な事にこだわっていたと思います。しかし、被災地で協力しながら生きようとする人々を見て、この住宅をどう見せるかより「この住宅がこの場でどんな存在であるか」という考察の方が基本構想の段階では増えました。そして、この住宅を家族の行為だけを許容する器としてだけではなく、新たにこの地に住まう家族が近隣との関係を築く場として提供したいと考えました。
そこで、複数存在した住宅へのアプローチの交点を全て土足で利用できる土間空間とする事で、街と住まいの境界を曖昧にしたり、施主が所有している多数の本を保管する本棚を構造体も兼ねて住宅内に分散配置し、公民館や図書館のような佇まいとしました。
人を招き入れやすくなったこの場所が子供や親、やがて地域とつながるネットワークの原点となる事を期待していたので、完成後しばらくして施主から送られて来た写真を見て嬉しく思ったのを覚えています。
私たち建築家は、社会の変化や社会の需要に対して敏感でなくてはなりません。住宅から公共建築に至るまでいかなる建築もこの世に存在するという事は何かしら社会的な位置づけがあるはずなので、これからも社会的背景が基本構想を決めるきっかけの一つとして設計できたらと思います。