連載記事
ラボ
「職人になろう」と思ったのはいつ頃からですか?
澤田さん
幼い時から絵を描くのが好きで、写生大会で賞を取ったりしていたこともあり、中学1年の時点で芸術やものづくりの道に行くと決めていました。高岡工芸高校に入って、漆や木工などいろんな選択肢の中から「自分の好きなもの」と考えた時に、なぜか金属を選びました。男だから強いものに惹かれた。そんな感じでしょうね(笑)。大学でも金属加工を専攻しました。
ラボ
大学卒業後はどんな道に進まれたのですか?
澤田さん
最初はなぜかシルバーの会社に就職したんですが、1ヵ月もちませんでした。もっと大きなものづくりをしたくて、やっぱり鉄の世界に行こうと。ネットも普及していない時代だったので、本で探した鉄作家の方へ会いに滋賀の工房を訪ねました。そこで「今は人を雇っていないから、山梨にいる作家さんを紹介するよ」と言われて、今度は山梨へ向かいました。
ラボ
思い立ったら即行動!ですね。
澤田さん
そこから2年ほど山梨に住み込んで、「洋鍛冶」と呼ばれるヨーロッパ風の鉄加工を専門にしている工房で修行させてもらいました。技術のある親方だったので学ぶことは本当に多かったですね。親方からは「鉄の加工は基本技術がある程度決まっている。あとは想像力とアイデアでどれだけオリジナリティを出せるかで決まるんだ」と教え込まれました。
ラボ
修行後は、すぐに独立されたんですか?
澤田さん
いえ、刀鍛冶になろうかとも考えましたが、作れるようになるまでに10年かかると言われ…。鋳物の道はどうかなと思いましたが、型を作って流し込んで、また冷えるのを待って…という時間がまどろっこしくて(笑)。鉄は冷えたらすぐに完成するので、せっかちな自分には合っていたんでしょうね。地元の鉄工所で働きながら準備をして、30歳の時に独立しました。
ラボ
具体的には、建築物のどの部分が鍛冶屋さんの仕事なんですか?
澤田さん
誰でもわかるところで言うと、玄関の門扉や表札、お店の看板やファザードなどの建物の顔となる部分がメインです。なにげない木の棚でも鉄の棒を加えることで、全く違う雰囲気に仕上がります。鉄で良いものを作ると、建物自体よりもそこに目がいく。鉄は建築物にスパイスを与える魔法だと思っています。
ラボ
切ったり、削ったりというやり直しが効かないので、鉄はまさに一発勝負ですよね?
澤田さん
そうですね。そのためにまずは図面をしっかり描かなければいけません。1ミリ狂うと閉まるはずのものが閉まらない。ちゃんと計算ができて図面を描けることが大前提。さらに営業や経営ができて、一人前の親方になれる。それが「ブラックスミス※」です。
※欧米での「鍛冶師」の呼び名
ラボ
独立後は、やはり苦労もありましたか?
澤田さん
それはもう、言い表せないくらい…。最初の何年かは自分の仕事をつくるために、普及して回ることが仕事でした。徐々に仕事が増えてきてからもデザインが思い浮かばなかったり、方向性に悩んだりと言うことは多々あります。大きな仕事をした後に燃え尽き症候群みたいな気分になったり。滋賀の親方へ会いに車を走らせたこともあります。
ラボ
その「壁」はどうやって乗り越えてきたんですか?
澤田さん
なんだかんだ18年やってきたので、イイ時も悪い時もあると自分に言い聞かせています。何億円の大規模な建設工事に携わる時、「自分の失敗で台無しにしたらどうしよう」と、プレッシャーは常にあります。あえて鉄を悪く言うと、失敗が一生残るものでもあります。ただ、失敗を恐れて平均なものは作りたくない。それが私の持論です。
ラボ
その攻めの姿勢が革新的な作品を生むわけですね。
澤田さん
あとは、納期は絶対に間に合わせること。間に合わなかったらただの鉄屑になってしまう。だからこそ、「すべては鉄のために」の考えがベースにあります。愚作はただのスクラップですが、良いものにしてあげればそれが一生残り評価されるわけですから。
取材のため特別に澤田さんの職人技を見せていただいた
ラボ
「伊丹国際クラフト展」で準グランプリに輝くなど各方面で評価を受けている澤田さんですが、仕事の対するモチベーションを教えてください!
澤田さん
建物や街灯なども含め、自分の作品があちこちに溢れている通りを作りたい。それが夢であり、希望としてあります。昨年、工房を岩瀬に移転してきたのも、建築が進んでいて街並が変化しているところに惹きつけられました。大工やガラス工芸家など頑張っている人がたくさん移ってきていて、私も鍛冶屋としてこの街の変化に携わりたいと思ったんです。
ラボ
最後に、職人に憧れる若者に一言お願いします!
澤田さん
私が独立した時には、周囲から「職業としては成り立たないだろう」と言われました。それでも自分のやり方を信じて工夫を重ねて、それを誰かが見て、認めてもらえれば仕事になるんです。
ただ、本当に並大抵の苦労じゃない。みんなが遊んでいる時、一切遊んでませんから。その分、私にとっては鉄と向き合うことが趣味だったのかもしれません。とにかく自分が好きなことを探して、一つ必殺技を持って生きていくべき。そうすると人間として、一つ芯が通るんじゃないかなと思います。