連載記事
※毎週火曜日に掲載
法澤建築デザイン事務所
テーマ vol.4建築と都市(周辺環境との関係性)
「木と葉、都市と住宅」
木は葉みたいだし、葉は木みたいだ
住宅は都市みたいだし、都市は住宅みたいだ
木、それはでっかい葉だし、葉、それはちっぽけな木だ
都市、それはでっかい住宅だ、そうでなければ、都市ではない
住宅、それはちっぽけな都市だ、それでこそ住宅なんだ
これはオランダの建築家、アルド・ファン・アイクの言葉です。アイクは「機能主義」に傾倒するモダニズム建築を批判し、建物は様々な「関係性」のために作られるべきであるというヴィジョンを提示しました。都市の中にはリビングルームのようにくつろぐことができる場所を作るべきだし、住宅の中には様々な出会いが生み出される広場のような空間をつくるべきである。すなわち住宅は、ただ寝たり、ただ食べたり、ただ休んだりする場所ではないのです。
建物の中に都市的要素を
建物の中に都市をつくる。私たちは自身の設計活動でもこの観点を大切にしています。建物は建築基準法などの法令によって用途と室名が定められますが、そういった機能や目的に縛られず、場と場の距離感、行為と行為の関係性をつくることが大切だと思います。
アクティビティの関連付けを行うことは、新しい出会いやコミュニケーションを生み出すきっかけにもなります。そのための場所や仕掛けを散りばめることが、「都市のような住宅」を作ることだと思います。
都市。多様性の中の統一
次に都市について考えてみたいと思います。学生時代、「街並みを意識して建物をデザインせよ」とよく恩師に指導されましたが、正直、どう意識すれば良いのか、当時の私には理解できませんでした。
例えば美しいパリの街並みや京都の「伝建地区」であれば、そのような見方も有効かもしれませんが、ここ日本の一般的な都市空間では、守られるべき要素はほとんどありません。建築雑誌をみていると、まちの「DNA」のようなものを無理やり探して建物に付加するような表面的なデザイン操作をよく見かけますが、これが良い「都市と建築」の関係を作っているとは思えませんでした。
ヨーロッパの街並みは美しいが、日本は醜態であるという批判をよく耳にします。その一因には土地所有の問題があります。ヨーロッパの土地は行政所有の割合が高いのに対し、日本では個人所有の割合が高い。ヨーロッパで行なっているようなトップダウン式のデザインコントロールが日本で実施できないのは当たり前のことなのです。だからといって、日本の街並みが醜態かと言われると、私はそうは考えていません。たしかに統一感はないかもしれませんが、個性的な建物が立ち並ぶ姿はユニークで愛らしいと感じています。建物がもつ個性をどのように都市に表現するか。これが設計を行う上でのポイントになってきます。
ドイツの文豪、ゲーテは「植物の形態論」について論じていますが、そのなかで「多様性の中の統一」という視点を示しています。私たちが森を見て美しいと感じるのは、多様な草花・樹木が個々を表現し、また淘汰された結果、統一が作られているという考え方です。この統一は完成することなく、常に変化しつづけます。
この見方に基づいて私たちの都市空間を捉え直してみると、都市は経済活動、すなわち現代人の多様な日常生活を表現していると理解できないでしょうか。そうであるならば、生活の根源である住宅を含むあらゆる建築物の形や姿はもっと都市に表現されるべきです。恩師の「街並みを意識する」という言葉は当時の私には理解が難しいものでしたが、隣の建物と同じものを建てるということではなく、建物の個性を創造すること、そして都市への参加の方法を見出すことではないだろうかと考え、今日の設計活動に取り組んでいます。