連載記事
※隔週火曜日に公開
仲建築設計スタジオ
「縦糸、横糸、セミラティス」
前回のコラムの最後に、ロードバイクでさっそく砺波平野に行ったと書きました。今回はその話から始めたいと思います。
砺波平野の散居村について触れられた本を大学3年生のときに、たまたま読んだんです。『集落の教え』(原広司)という本です。写真がとても印象的でした。建築がお互いを牽制しあっているのか、一定の縄張りを主張しあっている緊張感があって。『集落の教え』によれば、家屋同士の距離は80m。農村と聞いて僕がイメージする風景は、ある程度家屋が密集している集落、それも線状の集落があって、そのまわりに田畑が広がっているというものだったのでとても驚きました。その後、車で巡ったことはありましたが、せっかく近くに住むことになったのだから「また行ってみたいな」と思ったんです。
富山駅近くのアパートから出発して、まずは砺波平野展望台に自転車で向かいました。「牛」に因んだ名前を持つ集落や神社を通り過ぎ、ヘトヘトになりながら坂道を登りきったところに、その展望台はありました。眼下に広がる散居村は、緊張感をみなぎらせているというよりも、それ全体でひとつの生命体のように見えました。
その後、今度は坂道を下っていき(あまりに爽快だったし、まわりに誰もいなかったので、奇声?を上げながら)、今度は砺波平野の中に入っていきました。
すると驚きました。
田んぼという田んぼには水が張られ、用水の流れる音がそこかしこで聞こえます。この生命体が水の上に浮かんでいるように感じられました。自転車だからこそ、音や流れに気がつけたのだと思います。水面を撫でる風のおかげで、住宅の中はさぞや涼しいのだろうなと想像しました。コロナ渦が収まり機会があったら、どこかにお邪魔してみたいと思います。
「一つの生命体」というのは、この散居村が生活の場であり、生産の場であるということの表れなのだと思います。これらの融合が、一つの固有な風景をつくり出しているといえます。そして、人々の生活と生産いう活動を根底で繋げている存在が水だと感じました。
蓮町でのプロジェクト「創業支援施設・UIJターン者向け住居」も同じです。生活と生産(仕事といってもいいです)とを切り分けられない行為として捉えることで、「これからの時代」の生活環境をつくれるのではないかと考えています。特にゼロから何かを生み出すような創造的な仕事は、日々の生活の中での発見や、同じような仲間との交流が仕事のヒントになることが多いからです。
そして、砺波平野における「水」に相当する存在は、蓮町の場合は「自由な経路」なのかなと思っています。蓮町プロジェクトは創業や移住のための受け皿です。ここで大切なことは、利用者が行き来するルートを自由に選ぶことができ、その過程でいろいろな出会いや発見があり、お互いを触発し合うという環境価値だと思います。
セミラティス、というキーワードを前回のコラムで書きました。縦糸(既存建築物の骨格)に横糸(横断的な経路)を重ねることで、部屋と部屋の関係性が多彩になるということです。具体的にはどういうことでしょうか。
下の図の、n=0のところを見て下さい。階段室型の共同住宅では、AからBに行く時に、ルートは1種類しかありません。細かく縦割りにして人々の接触を極端に減らすのが目的の建築類型なので、ある意味当然です。ここに、「横糸」を一本加えてみます。n=1の図を見てください。赤い線が今加えた横糸です。
具体的には、外部にテラスをつくって、孤立していた各階段室をつなぎます。すると、AからBへのルートは3通りに増えます。横糸を増やせば増やすほど、ルートはどんどん増えていきます。横糸は階段室どうしをつなぐ内部廊下のこともあります。もともと、住戸どうしを隔てていたコンクリートの壁を限定的に開口します。
創業支援施設4階に自分のオフィスがあって、3階の共有のラウンジまでコーヒーブレークをしに行くとします。同じ4階の同業の○○さんのところに立ち寄ってから階段を降りてラウンジに行ってもいいし、まず階段を降りて横移動しながら、プレゼンスペースでの展示を覗きがてらラウンジに行ってもいいわけです。途中、外部のコモンテラスで深呼吸して気分転換するのもいいですね。コモンテラスからはいろんな活動が見渡せるようになっています。
いろんなルートを自由に選ぶことができ、そこで目にするものはその都度異なるわけです。これは創造的な仕事をする上で特に重要なことです。
UIJターン住居にも当てはまります。1階に住戸3区画分でつくった居住者の共有空間、「シェアスペース」があります。ここには少し大きめのキッチンや、アイロン掛けができるランドリーなどもあって自由に使えます。リビングはゆったりとしていて、新しく増設されたテラスからは庭に降りて行くこともできます。庭には畑やDIYスペースもあります。
冷たい雨の降る日でも、全ての住戸から濡れることなく、シェアスペースに行けるのは、このシェアスペースが3つの階段室を横断する形になっているからです。シェアスペースという空間自体が横糸になっているのです。
同潤会江戸川アパートメントという共同住宅がありました。1923年の関東大震災をきっかけに住宅供給を担う組織として同潤会がつくられました。江戸川アパートメントはその同潤会によって1934年につくられ、いろんな共有空間を持ち、今でいうシェアハウスの要素が多分に取り入れられた建物でした。既に壊されてしまい、残念ながら僕も中に入ったことがないのですが、『消えゆく同潤会アパートメント』(橋本文隆+内田青蔵+大月敏雄編)などたくさんの書籍が建築や生活の様子をレポートしてくれています。
江戸川アパートメントは階段室型共同住宅2棟が中庭を挟む形で建っており、5階と6階では階段室どうしを中廊下が繋ぎ、廊下の両側に個室がずらっと並んでいました。
僕はこの廊下を持つ「個室フロア」が特に面白いと思ったのですが、4階以下の世帯向け住宅に住む人がもう一部屋増やそうとして個室を借りたり、一人暮らしの人が個室を借りたりしたのだそうです。
階段室は一般に「縦方向の行き止まり」になりますが、ここでは、個室フロアで横移動できたわけです。建築の中の動線は、街なかにおける道路のようなものです。「交通計画」の工夫が多様な暮らしを叶えていたと言えそうです。蓮町での本プロジェクトもこのような実例を参考にしながら設計しました。
砺波平野で感じたのは「水」に浮かぶ、一つの生命体としての離散型集落でした。今回のプロジェクトでは、「自由な経路」という基盤の上に、セミラティス型の職住融合環境を実現しようとしていると言えます。
次回のコラムでは、自由な経路という交通計画だけでいいのか?という観点で書いてみたいと思います。(気が変わって他のことを書いてしまったらすみません)
また脱線…
なかなか週末に時間がとれないものの先日は放生津町に自転車で出掛けました。平坦な道のりだったので助かりました(笑)。ここ放生津には、室町幕府第10代将軍の職を追われた足利義材が一時滞在していたそうで興味を持ちました。その後、将軍職への復帰に成功するのですが、もしかしたら、昨年のNHK大河ドラマでの足利義昭は、その成功例にあやかって、鞆幕府を開いて粘っていたのかも知れないですね。
室町幕府は弱くて将軍が京都を追われて地方を点々としていたことも面白いですし、この地でどんな生活をしていたのか大変興味を持ちました。きっとその時代から豊かな場所だったのではないでしょうか。放生津は建築と水路が一体となった町で、これもまた生活と仕事場が水路によって融合された、とても素敵なところでした。