連載記事
※隔週火曜日に公開
特別対談
「これからの住まい(後編)」
わかもんVol.16は、Vol.13に引き続き、篠原聡子さんと、私、仲俊治の対談企画(後編)です。
前編はこちらから↓
https://www.kensetsu-labo.com/series/3555
仲俊治
単身者向け住宅と家族向け住宅を「混ぜる」ことはある種、歓迎されない傾向にありますよね。日本はその傾向が特に強いように思います。集合住宅のつくり方はもっと柔軟でもいいと思うのですが、この純粋主義はなぜなんでしょうか。
篠原聡子
少数のクレームに過敏に対応してきたこともあるでしょう。また、同じものを同じように並べた方が効率的です。団地の下にお店が入っていろんな人でグチャグチャするよりは、入居者が全てファミリー層の方が管理もしやすく、環境もコントロールしやすいですよね。そして集合住宅の背後には、過密や衛生・機能面も気にしないといけません。
ただ、単一属性コミュニティの脆弱性は、人が一気に入居して、そのまま高齢者ばかりになってしまうこと。多様性がなぜ必要なのか。重要なポイントは、持続可能性や色々な世代の人がいることでその空間(コミュニティ)が長く維持管理されていくこと。今回は集合住宅でも、様々な住戸や世代を一気に入居することで、多様性を生む。そして多様性は、サスティナビリティと繋がっています。今回のプロジェクトに則して言えば、多様性は創業や起業と親和性が高い。
加えて、様々な所得・世代の人がいる状況をどうやって作れるかは、「職住混在」かなと思います。タイのディンデン団地でもそうでした。小さなお店をやっている人が団地には入居出来ないかもしれないけど、商売さえ出来れば、その団地に通う事があるかもしれない。生業がある環境は、様々な層が行き来し、交流が生まれます。
仲
ここ「SHARE tenjincho」でも、2階にシェアオフィスを混ぜていらっしゃいますよね。職住混在の建築といえそうです。
篠原
そうです。2階のシェアオフィスには独立したアプローチを設けています。また、1階はピザ屋になるのですが、今、まさにインテリアの工事中です。仕事や商売の混在は、いろいろな交流を生む仕掛けといえます。
仲
創業・移住促進住宅に入居できる人は主に、県外から移住してくる人、県内外にかかわらず創業したい人なのですが、面白いのは3年で退去ということになるようです。ある種割り切って住む環境なので、コミュニティを育てていくのにデメリットがあるかもしれません。小さな核をリレー形式で育てていくような「仕掛け」が必要かと思っています。
篠原
そうですね。でも、一般的にシェアハウスの住人は大体住んでも1年。3年は長いほうです。この住居を出ていったとしてもこの環境で育ったコミュニティが、他の場所でも繋がる可能性もありますし、出た人が他の場所で一緒に住むかもしれません。この施設がある意味良い「苗床」になれば良いですね。
仲
なるほど。「苗床」ですか。住戸タイプで多様性を図るほかに、職住で多様性を応援する仕掛けですね。
篠原
例えば県外から移住してきた銀行マン、この施設でお店を営む人。学歴や収入も違うけど、同じ空間でシェアしながら生活することになります。人間がフィジカルな存在である以上は、人の徒歩圏というか生活圏にどのような関係を持っているのかは重要なことだと思います。ご老人ばかりでも子育て世代だけでも困ってしまいます。
篠原
これからは「地方」の時代が来るといいですよね。私は千葉県東金のお百姓さんの家の生まれなんですけど、今、母の実家の廃屋をリノベーションして、ワークスペースとシェアハウスを整備する計画があります。明治から大正くらいまでは地方が豊かな時代で交通はある程度あって、ネットワークを敷けた時代。東京から大阪まですぐ往復出来た時代ではなく、それぞれに拠点がある豊かな時代だったと思います。
地方を豊かにする仕掛けは凄く重要。高校生がこの事業に携わっていることは本当に素晴らしいですよね。地元の、そして自分たちの場所(故郷)を再発見する機会になるのでは、と思います。
仲
冒頭(前編)にお話ししたことと重なりますが、富山工業高校の高校生や先生たちと「カフェをつくろう」というワークショップを続けてきました。実際に使う椅子や照明を製作しています。
製作にあたり、「地域の素材」を一つ混ぜてもらうようにしました。自然素材であるがゆえに、再塗装や、ガタつきの修理といったことも出てくると思いますが、そのようなメンテは後輩たちが行うことも想定しています。使っていくうちに新しいアイテムが必要になるかもしれません。そんなことのために、施設の一角に工房(ラボ)もつくります。これも先ほどの「小さな核を育てること」にあたると思います。また、今篠原さんが仰った故郷の再発見の機会にもなると思います。高校生が地域のものを使ってくれれば、そこから数珠のように何らかの繋がりが生まれるのではないかと期待しているところです。
篠原
学生同士は、次々と繋がっていきますよね。
仲
こうした繋がりをキッカケに、このプロジェクトが始まった理由を知ってもらって、ものづくりの仕事に就いたり、この場所で育った人が県外に出て成長し、Uターンしたり、あるいは他県の方がココに吸い寄せられてきたりして、人が育つ場所になれば嬉しいですね。
そう考えると、ちょっと違った視点も加味しながら、豊かな土壌づくりというのが、僕らの役割かもしれません。対談の冒頭に、「自問自答しています」と言いましたが、少しすっとした気がします。
篠原
人が育つことは一番大事だと思います。富山工業高校を卒業した人は大学に進学するんですか?就職する人が多いんですか?
仲
両方いらっしゃるようですが、先生に伺ったら、就職が多いそうです。現場でも、OBOGの方々が施工者側にいらっしゃいます。
篠原
それは凄い出会いですね(笑)。
〜対談 「これからの住まい」 完〜
対談終了後は、とやま建設ラボからいくつかインタビューをさせていただきました!(ドキドキ…)建築の道を志す学生さん、最後までお見逃しなく!
ラボ
篠原さんが「建築の道」を目指されたキッカケを教えてください!
篠原
私が育った家は凄く古くて、入ると大きな土間がある典型的なお百姓の家でした。村全体もそんな家ばかり。高校生にもなると行動圏が少しずつ広くなってきて、ある日白い外壁が可愛い友人宅に行くと、ベッドがあって、襖や障子じゃなくて、扉がある!これまで見てきたお家とあまりに違って衝撃を受けたんです。それから「住宅」に興味を持ち始めました。
高校の家庭科の授業で「間取り」を考える時間があり、「間取りって自分で考えて、作ってもいいんだ!」と驚きました。「建築」よりも「住居」と出会った事が建築を学ぶキッカケでした。
仲
実は、私も同じかもしれません。僕は子供のときに何度も引っ越しをしまして、京都、東京では団地に住んでいました。京都では階段室型、東京では片廊下型でした。後に、父が横浜の郊外に一軒家を建てて住むわけなんですが、正直、そこにはなかなか馴染めなくて。一軒家には、団地のような周り(近所)のコネクション、濃密な人間関係がない。家の間取りと外側の関係性の違いに身を持って体験したことが、私にとっての建築を学び始めたキッカケでした。
篠原
それはお互い共通していますね!
仲
光栄です(笑)。
ラボ
仲さんにお聞きします。今回の対談を篠原先生にお願いした理由を教えてください!
仲
世界の住居と住まいの関係をつぶさに研究され、刺激的な実作もつくられてこられたからです。どこかのタイミングで、このプロジェクトのことを見てもらいたいと思っていました。住む「器」としての団地の役割が変わり、今回の事業は団地を利活用した地方創生で、様々な仕掛けや混ぜ方を施しています。篠原先生にこのプロジェクトの可能性を感じていただけるものか?シンプルにお聞きしてみたく、「試験」を受けに来た感じですね(笑)。
篠原
そんな試験だなんて(笑)。高校生のアイデアから始まったプロジェクト自体が、素晴らしいし、東京の様な市場経済オリエンテッドな場所では、何か面白いことが起こるスキ、緩さがない。地方には良い意味で緩さがあって、そこに地方だからこそのアイデアが拾われて花を咲かす可能性があると思います。
そして、このプロジェクトが仲さんと出会ったことも幸運だと思います。仲さんは「住む」ことに対する深い思い入れがあり、単に住宅や器、建築を作るだけではないところで、このプロジェクトが進んでいく可能性を創出していますよね。そして、最後に言えば、仲さんが富山に惚れこんでしまったことが、ハッピーエンドです(笑)。
仲
(笑)。
篠原
そのうち富山に行きますね。
ラボ
それはぜひぜひお越しください!篠原先生。建築設計、建築の道を志す学生さんに一言アドバイスをお願いします。
篠原
建築をやっていて楽しくないこと、大変なことはいっぱいあるんですけど、それでもやり続ける理由としては、場所との関係から発展することが多く、自分がここに何かを作ろうと思った瞬間に違うものに見えてくる。しかも、一人じゃ出来ません。建築は常に発見し続けられることと、クライアントや同業者、現場の職人さんなど、人間関係のコラボレーションも楽しいですね。
ラボ
最後に…富山、そして地方の学生が建築を学ぶうえ(大きな仕事をしたいなど)で大事にしなければならないを教えてください!
篠原
「思い続けられるか」どうかだけです。思いを死なせないためには、いろんな人に出会ったり、見たりする。「思い続けること」以上のことはないと思います!