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※隔週火曜日に公開
特別対談
「創造と交流の場づくり〜SCOP TOYAMAをめぐって〜」(後編)」
「わかもん〜高校生のプランが現実に〜」Vol.25は、特別対談第2弾として、法政大学デザイン工学部建築学科の岩佐明彦教授と、私、仲俊治の対談企画(後編)をお届けします。
是非とも前編https://www.kensetsu-labo.com/series/4315
をお読みいただいてから、後編へと進んでください。
よろしくお願い致します。
仲俊治
この施設(SCOP TOYAMA)は、建築甲子園の優勝作品を基にしたもので、シェアハウスやシェアオフィスなどのコンプレックスです。
具体的な要件、例えば必要諸室や所用人数といったものは白紙に近く、設計をしながら見定めていくプロセスでした。新築と違い、リノベーションならではの制約があるなかで進めていきました。
僕は建築の設計の前段階にあたる、「何をつくるかを考える」こと自体が好きなんです。以前設計した「食堂付きアパート」(東京都)や千葉県で設計したいくつかの知的障がい者の福祉施設は、その代表例です。敷地や空間の魅力を引き出しながら、一方で冷静に運用コストと両立できるような設計プロセスでした。ここをしっかり経由することでハコモノを回避し、持続的な交流の場をつくってきたつもりです。
一方で、「その時代の社会に合わせた建築」は社会が変化すると、いずれ「堅苦しい建築」になったり、建築として用済みになったりしてしまうのではないかという不安を持っています。使命を終えた団地を扱うことは、そんな不安と向き合うきっかけになりました。
岩佐明彦
仲さんが以前勤められていた山本理顕設計工場の山本理顕さんも仰っていたと思いますが、建築や空間には「仮説」が重要ですよね。実際のところ建築が施主や設計者の思い通りに、イメージ通りに利用されることはほぼほぼありません。ただ、イメージ通りにならないにしても、それをつくるためには「世の中はこうなっているのではないか」「世の中にはこんな空間が必要ではないか」といった仮説は、絶対に立てなければいけないと思います。
例えば、「何にでも対応出来るようにフリースペース(自由な空間)を設けました」といった説明を設計者から聞く事がよくありますよね?かつてのゆとり教育論争ではないですが、あまりにもその建築や空間を自由にし過ぎることよりも、ある程度目的や規律が最初から成立していた方が、当初決めた目的や規律以外に使われるにしても、創造性が発揮されやすいのではないでしょうか。
今回の蓮町団地の様な建物は、50年前に住宅事情や財政状況を考えてあのような形になったわけですよね。それは、建築計画学者の鈴木成文さんらが団地における一つのパターンを作り、それが全国に浸透していった結果です。そのパターンは財政的や社会的な事、一般家庭の事を考えて、これが当時のベストの形と考えられていたはずです。
考え抜かれた当時のレガシーがあるからこそ、時代を乗り越えて、面白いことが出来る気がします。想定通りに進まないこと、上手くいかないこともあるからといって、最初から計画することを放棄することは避けるべきです。「何でも出来ます」は、一見自由に見えて、不自由なのでは?と思います。
仲
なるほど、そうかもしれません。その仮説には、構造の秩序が大きく関わっているというのが、修行中に学んだことです。その秩序はある種の余白を保つようなものだと良い。ちなみに、蓮町団地の1階床は木造だったんですけど、余白を生かすうえで、もの凄く大きいことでした。
岩佐
その床が木造であったことも、何かしらの理由があってのことですよね。
仲
立派な松の大引でした。時代が下って隣の県営団地ではPC床版でした。木造の床組を解体することで、1階を上手く地上と繋げて立ち寄りやすくできました。このプロジェクトの射程は長いですが、一方で地域住民がカフェにふらっと入ってくれると嬉しいです。
また、繰り返しになりますが、「横糸」も特徴的な空間です。縦動線しかもたず、よそよそしく平行並置された団地に、横断的な空間を入れていきました。
岩佐
世の中は何事も予定通りいくとは限りませんが、だからと言って先を予測すること、計画することを放棄してしまっては、何もなくなってしまいます。意思を持って空間をつくったり、計画することが大事です。
仲
そうですね。一方で関係性から建築を考えると、どうしても「とんがった建築」になりにくい。また、社会との関係性に重きをおいて建築をつくると、いつか社会が変わった時に「この建築は『建築』として良いものなの?」となるのではないかと考えたりします。
一方で、どんなに建築が古臭くても、イイ人がいて、その周りに素晴らしいコミュニティが成立してさえいれば、良い建築だと判断される。本当は空間と人との相互作用があるわけだけど、そこはなかなかわかりにくいのも確か。
岩佐
なるほど。まず一つは、建物のつくり形は色々あってもいい。設計的にパンチが効いていると言いますか、ホームランバッターと言いますか(笑)。例えば、私の大学の同級生にはとんがった建築ばっかり作っている藤本壮介さんみたいな人もいます。藤本さんのような人は絶対に必要ですよね。
ファッションで例えると、パリコレのデザイナー。パリコレのファッションショーでモデルが身に着ける服は、一般の人にはあまり馴染みがありません。ただ、ファッションの方向性や潮流はパリコレで示される様なコンセプチャルなプロトタイプが、決めていくように思うんです。
しかしながら、社会や一般の人にとっては、パンチの効いたパリコレの服ばかり世の中に出回っても辛いです。建築で言うならば、コンセプトが強く打ち出されたデザインばかりだと辛くなる。そこにいる人々にフィットしているものや身近な地域社会と関係性があるものが必要で、そこには建築の多様性が存在します。仲さんは社会と関係性を持った建築の設計者を目指しているのでしょうか。もしかしたらホームランバッター系を目指しているのかもしれませんが、いずれにしても仲さんに向いていないものをやる必要はないですね。
パンチが効いている、効いていない。その議論は建築界だけであって、一般の方々を含めた広い視野で見るとあまり関係ないです。前半回(VOL.22)の建築甲子園の高校生の話で言うと、高校生は誰かに評価され、誰かに褒められるためにやっていないと思いますから。
岩佐
あとは、富山のネタで一つ例に出すと、富山市総曲輪にグランドプラザがありますよね。グランドプラザ成功の陰には、「広場ニスト」と呼ばれる山下裕子さんの活躍があります。オープン当初に彼女がグランドプラザの使い方、利用方法を上手く伝授し、様々なイベントなどを企画されたことが現在の賑わいに繋がりました。今では山下さんは富山以外のまちなか広場づくりでも活躍していらっしゃいます。
ただし、どんな場所でも良くなるかと言うと、絶対にそうではありません。そもそも山下さんがグランドプラザを応援したのはその場所や建物、空間に魅力があったからです。どこでも、どんな場所でも魅力的なものになるかと言われればそうではなくて、魅力的な場所でなければ、人は集まって来ないだろうし、先ほど話に出たキーパーソンになるような人もやって来ないと思います。
魅力があったり、面白かったりする場所であるからこそ、その場所を、空間を盛り上げようと努力するわけで、そのモチベーションには建築や空間の魅力は欠かせないと思います。
仲
なるほど。チャーチルの言葉は勇気づけてくれます。「われわれは建物をつくる。すると、建物がわれわれをつくる」。
戦災を受けたイギリスの国会議事堂を元通りの姿、空間に復旧すべきと主張した際の言葉だそうですが、(鈴木博之『都市へ』P394)、つくられた環境(built environment)から我々の振る舞いは逃れられないからこそ、魅力的な空間と建築を作りたいと思います。
今回の事業の凄く面白いところは、高校生から始まった(建築甲子園)ことに加えて、ワークショップで照明、家具、グラフィックデザインを製作しました。
そこでは、地元の特徴的な材料を使おうと和紙や絹を採用し、高校生が各生産拠点まで足を運び、つくることを通して地域を知ることに繋がりました。それが結晶化して照明や家具がカフェに設置されます。
(わかもんVOl.11参照) https://www.kensetsu-labo.com/series/3427
短期的にこの場所が出来ただけでなくて、昔からあるものを若い人たちが知って、定着させていく。総合芸術としての建築に貢献出来たように思えることも嬉しいです。
岩佐
それはいいですね。高校生がその地場材料に愛着を持ち、何年か後に、再びその場所を訪れたりすることもあるだろうし、将来的に高校生が大人になり、親になり、その子供達に紡がれる可能性もあります。
イノベーションやUターン・Iターンに属する場所は、短期的に成果を求められがちではあります。今回の施設について、もちろん、実際に移住してくる人もいると思いますが、目に見えない効果が大いにあるように思います。
この施設に住んでいないかもしれないけど、思い入れが強かったり、シンパシーを持っている事もある。生活することは様々な事情があり、みんながみんな富山に戻れたり、富山に住めるわけではないです。見えないUターン、Iターンも存在するのではないでしょうか。
収益やどれだけ人が集まるか。そこについつい着目されがちな短期的な部分もありますが、長いスパンで見て、この場所に、この建築に、沢山の人の気持ちが存在したり、想いが戻ってくるか。そんなことを考えることも必要だと思います。
特別対談(後編) 完
さて、ここで岩佐先生にとやま建設ラボから質問を!
ラボ
地方で建築を学ぶこと。地方の学生が「建築」を学ぶうえで、大切なことはありますか?
岩佐
まず私自身、地方の出身なんです。学生時代に東京で修行し、新潟大学では15年ほど教員をしていたので、地方の学生の気持ちがよくわかります。今は法政大学で「THE都心」みたいな場所で仕事をしていますが、新潟にいた時のことを懐かしく思います。
新潟で仕事をしている時は何か「足りない」感じは、やはりありました。東京の人はチャンスがあって情報があり、新潟にいる我々はどこか遅れを取っているように思う気持ちがありました。「まずは東京に行ってみろ」と学生に言っていましたし、「東京に負けるな!」みたいな気持ちがモチベーションでもありました。
ただですね、いざ法政大学に来て学生と接していると、地方の方がよっぽどチャンスがあったようにも思うんです。そして、今の学生は失敗を恐れて、自分たちのエリアから出ない人が多いかもしれません。保守的、失敗を恐れる傾向にあります。
地方には、学生が企画したり、学生が参加するプロジェクトを面白がってくれる人が意外と身近にいたりします。地方は知り合いを2人ほど経由すれば、会いたい人に出会えたり、機会に恵まれたりする可能性がある。これはチャンスです。東京だと絶対にない機会だったり、人との縁は地方のほうがチャンスはあると思います。
そして、一番大切なのは、地方の負い目を感じずに堂々とすること。皆さんが普段から取り組んでいることは、都心の大学にも負けない面白いことだと思います。新潟大学にいた時は、富山から入学してくる学生に元気な人も多かったです。そういえば、富山工業高校から来た学生にも色々な思い出がありますね。
とにかく自信を持って欲しい。東京に対抗意識を燃やしつつ(笑)。