連載記事
テーマに沿って10名の建築家・建築士が建築設計への想いや考えを綴り、バトンを繋ぎます。
第1弾のテーマは「建築設計との出会い」です。
※毎週火曜日に掲載
荒井好一郎建築設計室
テーマ vol.01 建築設計との出会い
「キッカケは実在しない建築家」
時は1995年4月。ドーハの悲劇によってサッカー日本代表が初出場を逃したW杯アメリカ大会の翌年、その残念な思いのせいでしょうか?私は見事に大学受験に失敗し、富山中央予備校に通い始めることとなりました。
好きな勉強の傾向が理系というだけでなんとなく機械科を目指していたのですが、予備校生となり改めて自分の特性や自分のやりたいことを見つめ直す時間ができました。
予備校の事務室で大学資料を眺めていると「建築学科」という文字が目に入りました。気になって調べていくと、一口に建築と言ってもその分野内に広がる職業は多岐にわたるのですが、中でも気になったのは「設計」という仕事。何でも建築の設計図面を描く仕事だとか。理系と言いながら数学や物理が得意だったわけではなく、思い起こすと小学校から一貫して、得意なのは図工(美術)と体育でした。
小学校6年生の時に未来の社会をテーマとした「児童絵画コンクール」において、富山県で大賞をいただいたのがちょっとした自慢。高校のサッカー部ではキャプテンを務め、後に日本代表となる柳沢敦選手に見事、ハットトリックを決められて大敗したのもちょっとした自慢。
まぁサッカーのことはさておき、絵を描くことや工作みたいなことしか能がなかった自分にはこの「建築設計」という仕事が合ってるんじゃないの?という思いがムクムクと頭をもたげてきました。
図工では凝り性のため人よりもずっと時間を掛けて取り組んでいたし、写生大会では暗くなるまで学校に残って描き、ついには終わらずに家に持ち帰って仕上げるという有様(もはや写生ではない・・・)。
図面を描いたり模型を製作したりする建築設計が仕事だったら、図工や美術のように時間を忘れて打ち込むことができるかもしれない!「建築」についても「設計」について何にも知らなかったのに、漠然とした思いだけが膨らみました。
そんな時期に偶然出会ったのが「リビングゲーム」という漫画。東京の住宅事情を描いたコメディー漫画で、主人公は様々な経験と周りの人間に振り回されながら「居場所」について深く考えるようになります。そんな時、建築の設計を仕事にする杉田さんという建築家に出会い、その人柄と仕事に対する姿勢に強く影響を受け、最終的に建築の設計を志していく、というストーリーです。
この漫画で建築設計を専門とする職業を建築家というのだと知りました。そして、この建築家の杉田さんがなかなかの特異キャラで、現場で木枠の仕上げ具合が気になるとマイ鉋(かんな)を取り出して削り出すのです。
この時に描かれている現場監督の反応で、建築家のこのような行動は普通ではないのだということも理解するのですが、とにかく杉田さんの建築に掛ける思いが熱い!ということで主人公だけでなく私も影響を受けてしまいました。
その漫画の影響もあり受験学科を変更することになった私は、何とか希望の建築学科に入学することができました。
彼のつくるスタディー模型の美しさはもはやアートで、彼が描く図面には人のシルエットが描き込まれ、建物が活き活きと躍動感を持っているように感じました。それでいて創り出す建築には工業的な要素があり、エンジニア的な雰囲気も醸し出しているのです。
すかさず、展示会で販売されていた関連書籍の「レンゾ・ピアノ航海日誌(TOTO出版)」を購入し、家に帰って読みふけりました。今思えば、学生の私には中に書いてある専門的な内容はほとんど理解できていなかったと思いますが、とにかくそのスケールの大きさと表現力に「これが世界の建築家か!」と只々衝撃を受けたのでした。
その書籍の中に掲載されていた「B&B社オフィス」の鮮やかな青色のスチールトラスの構造体が私の一番のお気に入りで、大学の設計課題で「都市に建つバス停」というテーマに取り組んだ時にはそれをモチーフにしてデザインしました。多くの方がそうだと思いますが、やはり私のデザインのスタートも好きになったものを真似てみるところから始まりました。
現在私がメインで取り組むのは木造の個人住宅です。レンゾ・ピアノ氏のようなビッグプロジェクトに関わることはありませんが、漫画の中の杉田さんにはどんどん近づいている気がします。
さすがに鉋はかけませんが、塗装したり、左官したり、穴を掘ったり、時にはインパクトドライバーを片手にちょっとした木工事も・・・分離発注という建設方式を武器に、周りには見当たらないような特殊なマルチタスク建築設計者になりつつあります。デザインの衝動の原点は巨匠レンゾ・ピアノ、情熱の原点は実在しない建築家の杉田さん、ということになるのでしょうか。
私の建築設計との出会いは、その当時すでに現在の私の姿を予見していたようで、何とも不思議な気持ちになる今日この頃です。