連載記事
テーマに沿って12名の建築家が建築設計への想いや考えを綴り、バトンを繋ぎます。
第1弾のテーマは「建築設計との出会い」です。
※毎週火曜日に掲載
濱田修建築研究所
テーマ vol.1 建築設計との出会い
「建築が生む、未知なる世界」
私は、魚津市の漁師町で生まれ育ちました。父は漁業を営んでおり、特に建築と無関係な環境下で、なぜ建築を志したのかは自分でも明確に答えられません。ただ、幼少期の記憶を辿ると、2つの時代背景や出来事から受ける体験が左右していると思っています。
私たちの世代は、「鉄腕アトム」が流行した世代です。物心が付いた頃には既にテレビで鉄腕アトムが放映されていました。当然のように鉄腕アトムに憧れて、アトムのオモチャで遊び、放映中は瞬きもせずにテレビを見ていたと思います。
ただ、完全無欠なアトムの強さよりも、その背景に描かれていた「未来都市」に心を奪われていたことを思い出します。曲線的にデザインされた高層ビルとその狭間を縫うように絡みつく道路、そしてその上を少し浮きながら走る流線型の車などの光景には、いつもワクワクしていたものでした。
ある日、工作が好きだった私は、一念発起して画用紙を切り抜き、その未来都市の模型作りに挑戦しました。しかし、想像していた壮大な未来都市の風景にはほど遠く、力量の無さに悔しい思いをしたことをよく覚えています。今思えば、これが建築設計における初めての挫折経験なのだろう思います。
そして、小学校4年生の時には、高度成長期の国家的事業である大阪万博EXPO’70が開催されました。万博パビリオンの乱立風景は、まるで未来都市さながらであり、また写真やテレビに釘付けになりました。その時もアポロ11号が持ち帰った「月の石」や動く歩道、ジェットコースターなどのアトラクションより、空気圧で膨らむアメリカ館や吊り構造のオーストラリア館に興味が強かったと思います。ひと目見たくて父に連れて行くよう懇願しましたが、漁師の父は全く興味が無く、聞く耳持たずで、願いは叶いませんでした。これも挫折の一つかもしれません。これらの幼少期体験が建築への興味を強くしたのだと思います。
未来を見せてくれた2つの経験から、建築とは未来を創ることと結びつき、挫折が気持ちを強くして、大学では建築学科へ進学しました。1984年の大学卒業後は、9年間インテリア会社や設計事務所にて経験を積み、その後独立して現在に至っています。大学卒業からの36年間は、師匠(石井和紘氏)をはじめとする多くの人々と出会い、知識や刺激をもらい、また様々な建築を見ては多くの感動を受けました。私は、それらの一つひとつに育ててもらったのだと思います。
今でも自分が設計したことのないデザインや施設、構造システム、材料などに挑戦する時には気持ちが高揚します。幼少期に建築が見せてくれたように、建築には未知なる世界を創り出す可能性を感じるからです。
そして、現在は私と私の設計が、建築を目指す若者の背中を微力ながら押すことが出来れば幸いに思います。そのためには、今後も自分自身がワクワクしながら、時に挫折し、また「鉄腕アトム」のような強い気持ちで立ち向かい、人々の琴線に触れる建築をめざして、これからも設計を続けていこうと思っています。