連載記事
テーマに沿って10名の建築家・建築士が建築設計への想いや考えを綴り、バトンを繋ぎます。
第2弾のテーマは「完成までのプロセス~人との出会い~」です。
※毎週火曜日に掲載
コラレアルチザンジャパン
テーマ vol.02完成までのプロセス
~人との出会い~
「置かれたところからやってみる」
第2回目ですね。今回は建築を完成させるまでのプロセスの手法が、どんな人々の出会いによって形成されてきたか「建築と自分」をもとに思い出してみたいと思います。
前回同様、脚色ゼロのありのままの文章なので、ご興味のない方はここで別のページに飛んでいただいても問題ありません。
前回は高校時代まで遡ったので、大学時代から。
ファッションに明け暮れた高校時代でしたが、実はスムーズに建築学科のある名門大学へ入学…という順風満帆な人生とはいきませんでした(単純に全然勉強していませんでした笑)。とりあえず、なんとか滑り込み合格した地元の大学に進学しましたが、友人宅に居候状態、大学にいかないダメ男状態まっしぐらでした。
業を煮やした父親からは「一つでもいいから何かを成し遂げてみろ」と発破をかけられ一念発起。日建学院の宅地建物取引主任者(現:宅建士)の資格取得コースを受講しました。その時、雑誌「私の部屋」での記憶が蘇り、建築やインテリアに対する興味が再興。宅建士試験の一語一句が不思議なほど体に染み渡っていき、結果県内最年少合格者として突破することが出来ました(というか10代で受ける人はいなかった汗)。
それからは、建築の道へ邁進していきます。建築学科への興味から、寝る間を惜しんで勉強を重ねていき、明治大学理工学部建築学科へ編入学することが出来ました。しかし、編入学の場合は学部生の途中からになるので専門科目の多い建築学科ではスタートラインから既に同級生と差をつけられています。
そのハンデを埋めるべく、毎日図書館に通っては建築系図書を読み漁り、先輩の研究室に顔を出し、アトリエ設計事務所でアルバイト…最高に楽しい日々だったと思います。
そんな中、思っても見ないチャンスが舞い込みます。後の所属研究室になる小林正美教授から、中国・上海の都市計画コンペがあるので手伝わないかとアルバイトの立場ではありながら誘っていただき、勝利を収めたのは束の間、「上海事務所立ち上げに行ってこい」との指令を受け、右も左も分からないまま2005年夏に中国に渡りました。
上海に到着後、至る所が高層ビルの建設ラッシュで砂埃が舞い上がり、道には沢山の屋台、なんともいえない香りが街中を覆っていたのを今でも忘れません。中国語どころか英語も殆ど喋ることのできないなか、なんとか身振り手振りで半年間滞在し、事務所立ち上げのミッションをクリアすることが出来ました。そこでの体験が、また上海に戻ってくるきっかけになるのですが、それは次の回に…。
あ、テーマは建築の完成までのプロセスでしたね(汗)。私自身のこれまでの人生もそうですが、「置かれたところからやってみる」というスタンスは、コラレアルチザンジャパンとして活動している今でも続いている様に思います。父親からの勧めもそうですし、小林教授からの誘い(指令?)もですが、基本的に来た話には全てポジティブに受け止めて、自分ならどうできるだろうと自問自答から始めます。世間には一気に世の中を変えてしまうゲームチェンジャー的な方もいますが、それは稀なケースだと思っています。
前回もお話しした通り、私たちコラレは職人たちと健やかな関係を築きヒエラルキーのないフラットな関係性でものづくりに携わってきました。特に私たちはリノベーション案件が多く、既存建物を扱う場合は様々な制約を受けます。
しかし、そこに抗うのではなく素直につくる、職人と一緒につくる、地域に馴染むようにつくる、ということをいつも考えています。当たり前ですが、私の人生よりも長い間そこに建築が存在していたことは紛れもない事実で、大袈裟に変更してしまうと町のバランスが崩れてしまいます。
また、そこに携わる職人も私以上にずっと現場で材料と対話をしてきています。そういったことに深いリスペクトを持って仕事をしていると、実は今までに見たことのない空間や体験を創出できることがあります。無作為の作為というものでしょうか、建築は非常に強いものなのでその「流れ」には非常に気を遣っています。
次回も、私の今までの人生を振り返りつつもテーマである「基本構想が生まれるまで」について考察していこうと思います。2回目も読んでいただいた方、大変感謝致します。次回も私の拙文にお付き合いいただければ嬉しいです。