連載記事
テーマに沿って10名の建築家・建築士が建築設計への想いや考えを綴り、バトンを繋ぎます。
第4弾のテーマは「建築と都市 ~周辺環境との関係性~」です。
※毎週火曜日に掲載
荒井好一郎建築設計室
テーマ vol.04建築と都市
~周辺環境との関係性~
「自分なりの地域らしさを表現する」
「基本構想が生まれるまで」という前回のテーマに対して、敷地と向き合うことの大切さについてお話ししました。今回は、その敷地のさらに外に広がる世界に目を向けます。
今回のテーマにある「都市」というものは、「周辺環境」や「街」、あるいは「社会」という風に読み替えても良いのかなと思っていまして、それらと私が設計する建築との間にどのような関係があるのかを話してみたいと思います。
家の近所のガソリンスタンドが閉店となり、建物が取り壊されたことがありました。すると風景が一変したのです。ほぼ柱と屋根だけのシースルーな建物がなくなっただけなのですが、街の風景がまったく変わって見えたのです。
街では店舗が入れ替わって看板が変わったり、建物がなくなったり、建て替えられたりということがよくありますから、この感覚は誰しもが一度は経験があることではないでしょうか。
私はこの時あらためて「建築をつくるということは、街並みをつくるということなのだ」ということを思い知らされたわけです。どんな建物でも、そこを通る人、その街に住まう人の無意識の中に風景として刻み付けられることを、ごく身近な環境の変化から学びました。
それからもう一つ印象深い思い出があります。それはイタリアのフィレンツェを訪れた時のこと。もちろん真っ先にドゥオーモの展望台に登ったのですが、そこから見える景色の美しさ!なんと表現したら良いのでしょうか・・・建築と都市の境目のない一体感を初めて目の当たりにしました。
ただ屋根瓦の色が統一されていることだけではなく、密集具合・高さ関係・ランダムに配置される塔・・・きっと最初から意図してつくられたバランスではないのでしょうが、長い歴史と文化が生み出した芸術品のような街並みです。それは私が日常の業務で目指せるようなレベルの話ではないのですが、しかし建築と都市の極上に理想的な関係性として深く胸に刻みつけられたのでした。
余談ですが、建築関連の賞における審査では多くが現地審査を行います。それは建築空間の直接的な体感を得るためというのはもちろんあると思いますが、どの場所にどのように建っているという部分が特に写真では分かりづらいからで、その「場所性」が建築のあり方を決定づけていることも多いからだと思うのです。
ここまでお話ししたような私自身の体験から、建物を設計する際には周辺環境とどのような関係をつくるのか、という意識を強く持つようになりました。その意識をどのように自分の設計に投影しているのか、いくつか事例を振り返ってみます。
まず最初は「周囲の既存建物の形」から考えるデザインについてです。
富山では隣地に雪を落とすことを避けるために屋根は前後に流れた形状が比較的多いと思うのですが、敷地の両隣の建物が南側に切妻を向けた形状で建っていました。南側には障害物がなく遠くから眺められるのも特徴で、そうなると計画建物の屋根形状を連続させてリズム感のある街並みをつくりたい、という想いがムクムクと。
単純に街並みになじむ屋根形状、そんなところから発想する建築の形があっても良いと思いましてシンプルな切妻屋根のデザインを提案しました。そしてそれを活かすために2階をリビングにして、大きなガラス張りとバルコニーを介して南側の眺望を得る設計としました。屋根や天井が気になるのは建築設計者だけという噂がありますが真相のほどはいかに?
次は「道行く人の気持ち」になって考えたデザインについて。
当たり前のことですが、道路から見える景色の連続が街並みになっていますよね。ということは自分の家と道路に挟まれた空間が街並みの一部として活躍しているわけです。そう考えると、ただ門扉やカーポートが連続する街並み・・・というのは寂しいと思いませんか?
私の設計においては、家の顔として住まい手の生活に彩を添えると共に、道行く人への気持ちの良い景色の提供となるようにと考えて玄関・アプローチ廻りの空間づくりを行っています。
最後は「地域性」を強く意識したデザインについてです。
建物の外観に建設地ならではの要素を散りばめて「地域らしさ」を発信することを考えたりもします。これは建物の形や色のような「見た目」ではなく、建物がその場所に建っていることの「意味」を感じられるようにしたいからです。
その地域で育った木材はその地域の気候に馴染みやすいのは当然の事で、地場産木材の活用は地産地消となり森林資源・水資源を守ることにもつながります。また地場産業・技術の活用は元々私たちの身近にあった伝統産業を生活の場に取り戻すきっかけになるかもしれません。建物の用途が個人住宅だとしてもつくり手の私たちには、社会的な責任や役割があることを忘れてはいけないのではないでしょうか。
私が敬愛する建築家の故・吉村順三氏は、建物と周辺環境・歴史との関係について「尊重」「邪魔しない」「謙虚」という言葉をまじえながら語られるのが印象的で、氏の自己主張だけで建築を成り立たせるわけではない正に謙虚な姿に深く感動します。
私が自分の建築に期待するのは、その建築の周囲の環境・地域風土との調和です。
そのために先に述べたような様々な方法で「地域らしさ」を表現しようとしているのですが、根底にあるのは吉村順三さんのような謙虚な姿勢でいたいという願望です。
ものづくりを行っていると強い創作意欲に支配されそうになる時がありますが、それをグッとこらえてしっかりと周りの声に耳を傾けて、私の欲求ではなくそこにあるべくしてあると思える建築の姿を見つけ出したいと考えています。
書籍「火と水と木の詩」の中で、「若い建築家と比べると吉村さんの建築がおとなしいという感じがするのですが」という問いに対して、吉村さんは「僕の好きなものでしょうね。よい環境さえ出来れば、住宅って建築なんてなくてもいいと思ってるんですよ。暖ったかくて、雨もかからないで、夜は寒くなくて、仕方なくて屋根をかけたり壁を造ったりしているでしょう。・・・いい格好にしてその風景の中で他に邪魔しないで、出来れば風景をよくするという位の自負心はありますけど・・・。」なんて風にお答えになるわけです。
気取らず、気負わず、自然体で、でも誇りがあって・・・
私はあとどのくらい歳を重ね、経験を積めばこのような境地に辿り着けるのだろう・・・込み上げてくる思いをのみ込みながら、今日も設計の仕事と向き合っています。