連載記事
テーマに沿って10名の建築家・建築士が建築設計への想いや考えを綴り、バトンを繋ぎます。
第4弾のテーマは「建築と都市 ~周辺環境との関係性~」です。
※毎週火曜日に掲載
コラレアルチザンジャパン
テーマ vol.04建築と都市
~周辺環境との関係性~
「プログラムを自らつくる」
第4回目ですね。最近は「続きが楽しみです!」とか言われて、マイペースに書いていたことを猛省しております汗。さて、今回のテーマは建築における周辺環境との関係性を、私自身の体験談も踏まえて読み解いていこうと思います。
それでは前回からの続き。日本での設計事務所勤務のなか海外での体験が忘れられず、没頭してしまう性格ということも相まって、日本を飛び出しカナダのビクトリア大学付属の語学学校へ留学、その後アメリカで働こうと決めて海を渡りました。
しかし時は2008年。リーマンショックと呼ばれる世界金融危機が発生、内定をもらっていたニューヨークの設計事務所からは採用断りのメール、カナダ国内でも翌々年に控えたバンクーバーオリンピック関連施設の工事もストップする等、新規雇用どころか自国のスタッフも解雇せざるえない状況で目の前が暗黒に包まれました。
当時ビクトリアの小さなアパートに住みながら、おそらくポートフォリオ(作品集)とレジュメ(履歴書)を100社以上に送ったかと思います。その殆どが反応なしで、いくつかの返答もお断りでした。今思えば、英語もままならない若い日本人を雇う設計事務所はありませんでした。
そんな藁にもすがる思いでコンタクトを取ったのが、大学時代の上海派遣中に出会った建築家・馬清運氏が率いる設計事務所MADA s.p.a.m.でした。オンラインで面談をし、来てもいいよと返事をもらってすぐに航空チケットを予約、すぐさま上海に向かいました。
現代っ子的にはゆっくりアメリカを旅行しながら建築探訪して~となるのかもしれませんが、早く行かないと自分の席がなくなってしまうという焦りがあったので語学学校卒業と同時に中国に渡りました。
当時の上海は、北京オリンピックを終え、翌年2010年には上海万博が開催を控えている等、経済が急成長し世界中の有名建築家がこぞって中国に事務所を開設していました。週に1本ビルが建つと言われ、街中砂埃だらけ。
PM2.5という大気汚染が蔓延し、決して暮らしやすい環境とは言えませんでしたが、経済が活況を迎え日々エキサイティングなことが起こる上海での生活はアジアの魔都と呼ばれるに相応しい場所で、私も2016年に日本に帰国するまで6年半もの間その虜になっていました。
現在、私たちは木彫刻の産地で有名な富山の井波地域でBed and Craftという空き家の古民家を活用した分散型ホテルを運営しています。設計事務所がなぜホテル経営を?と思われるかもしれませんが、上海時代の師匠でもある馬氏に大変影響を受けていると思います。
彼は、中国内陸部にある都市・西安の郊外にある集落出身で、大変貧しい暮らしのなか必死に勉強して日本の東京大学にあたる最高学府・清華大学建築学科に合格、その後アメリカのペンシルベニア大学に留学し、中国国内でも有数の建築家としてその名を馳せていました。
ただ、当時中国では上海や北京等の沿岸部の都市と内陸部の都市では経済格差が何十倍もあり、ひと家族で子供を大学に入れてあげることは出来ません。なので、彼は集落全体から金銭的支援を受けてその代表として勉学に励んだのです。
そんな環境のなかで育った彼は、郷里に対する愛着と、貧しい地域をどうにか変えたいとの思いから、建築設計で稼いだ資金を費やしワイナリーを建設、ぶどう農家を育て、ホテルをつくり、一大ワインリゾート「玉川酒庄」を完成させました。それにより、主だった産業もない貧しい農村に多くの人々が訪れ、玉川酒庄のワインは中国国内有数の有名ホテルで取り扱われるほどに成長しました。
私は普段、彼が主宰する上海の設計事務所で勤務しており、毎週末事務所にゲストを招いてはワインの試飲会を行なっていたことが最初は理解ができず「ここは建築設計事務所だよな?」と不思議に思っていました。
しかし、彼と一緒に仕事をするにつれ、建築は「頼まれてつくるもの」ではなく「社会に幸せを生み出す装置」なのだと教えられました。実際に彼は、誰に頼まれることなく自ら動いてワイナリーというプログラムを建築として表現することで、新たな雇用を生み地域の文化を創出、地域経済の発展に大きな貢献をしていました。
まさに建築家が「新たな社会」を作り上げていたのです。
私たちコラレアルチザンジャパンが運営するBed and Craftも創業時より「職人を活かす、古民家を活かす、まちを活かす」という3大原則を掲げ、井波の日常でもある職人と共に井波を体感してもらうことで、職人をより近い存在として感じてもらい、手仕事の美を自らの暮らしに取り入れてもらう(買ってもらう)。
そんな小さいながらも持続的な経済循環を生み出そうと日々さまざまな試みをおこなっています。
前回もお伝えした通り「建築のまわり」が重要だと考えており(建築のまわりで起きていることを建築というツールを活用して解決・発展させていくという考え方 ※第3回参照)、それは周りの環境を読み解き、どんな建築が必要とされているのか、時には「頼まれたもの」ではなく「社会に必要だと感じたもの」をつくるのも建築家の役割だと思います。
今回は激動の時代をぎゅっとまとめて書いてみました。ついに次回は最終回です!勝手きままに書いてきましたが、次回はコラレとして大事にしていることや将来の展望、建築を志すみなさんにとって希望を持てるような楽しいお話をお届けします!
ではまた!